松田哲也税理士事務所

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君子而時中 ~佐藤繊維(山形)の佐藤正樹氏に学ぶ~

中国古典の中庸に「君子而時中」という言葉があります。「君子はよく時中(じちゅう)す」と読みますが、立派なリーダーはその時その場にふさわしい手を打ち、あらゆる矛盾、相剋(そうこく)を克服してどこまでも進歩向上していくという意味です。
 山形の佐藤繊維の佐藤正樹氏もこの「君子而時中」 の言葉のとおり、その時々に適切な手を打ち、逆境を乗り越えてきたリーダーの一人です。佐藤繊維と申し上げてもピ
ンとくる方は少ないかもしれませんが、オバマ大統領の大統領就任式でミシェル夫人がドレスの上に羽織ったカーディガンに使用されていた糸が、山形にある佐藤繊維のオリジナル製品です。佐藤氏がそこまで上り詰めるためには相当の相剋があったに違いありません。たとえば同業者の多くが不況のため人件費の安い海外に生産拠点を移すなか、国内製造を守り続けたこともその一例だと思います。なぜなら、もし同業者と同様に海外に生産拠点を移していたとすればアパレルからの注文どおりに製品を納入するという従来の繊維業界のあり方からの脱皮は考えられなかったからです。では佐藤氏はどのような時にどのような手を打ち今日に至っているのでしょうか。
 佐藤氏自身が「人生の一番の転機だった」というイタリアで出会ったある工場長は日本ではないものを持っていました。つまり、佐藤氏の会社で使っている機械とほとんど変わらない機械であるにもかかわらず、この工場ではどの機械にも職人たちが加えた独自の工夫の跡があり、日本のように「これを作ってくれ」「はいわかりました」と黙って頭を下げるような雰囲気は、この工場長には微塵もなく、熱く語る姿には自信と誇りに満ち溢れていたそうです。その時佐藤氏は「ああ、俺たちはアパレルに言われるがままに物作りをやっているけれども、それとはまったく別の発想で生きている人だ。物作りの現場から世界を変えていくことは不可能ではない、自分もこの道を歩いて行こう」と強く思ったそうです。
 早速、日本に帰った佐藤氏は社員を集め「人から言われたものじゃなく、自分たちだけの糸をつくろう」と訴えます。しかし、社員の反応は冷ややかで、新しいオリジナル製品を作る以上に社員の心を変えるのが大変だったと佐藤氏は言っています。物事を成功させる人は「どうやって作るか、どうやったらできるか」という方法を常に考えている。逆に成功しない人は、できない理由を次々に並べ立てる。佐藤氏の社員に対する説得が続く中、あるベテラン職人の協力のもとついに佐藤氏はオリジナル製品の開発に成功します。しかし、せっかくの糸がなかなか売れない。そこで佐藤氏は糸だけではなくニット製品の企画からデザイン、製造、販売まですべてを手掛けるようになります。ところが日本では工場や下請けは下に見られる傾向があり、どんなに魅力的な意図やニット製品を作ってもアパレルメーカーとは対等な付き合いができないことを痛感します。そこで佐藤氏が目を向けたのがアメリカです。アメリカとのエージェントとの繋がりを広めたいという願いとともに、自社の歴史を物語風に伝えることを佐藤氏は思いつきます。「私たちは百年前から雪の多い日本の田舎で羊を飼いながら糸作りをしています」「いま四代目の息子が糸とテキスタイルを作り、妻がデザインして二人のブランドを出しました」というふうに日本の素朴な物作りへの思いを伝え、これが大きな反響を生むこととなり、ついには、佐藤繊維のニット製品がアメリカから日本へ逆輸入されることになりました。
 佐藤氏は「ビジネスをやっていると確かに多くの問題が起きてくる。その時大切なのは、前に経験したのと同じ状況に直面した時のために、自分の中にいかに知恵という引出しを多く持っているかではないか。それと同時に、その経験を生かして5年後10年後のビジョンを描けるかどうか。その時に目先の流行や損得にとらわれないことも大切である」と語っています。
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